見学コース
石切沢通洞坑コース
1.7kmに及ぶ観光坑道では、江戸時代から近代にかけての鉱山の様子を見学できます。採掘跡、運搬設備、坑内事務所などが再現されており、観覧所要時間は30分(1.1kmの標準コース)から40分(1.7kmの特別コース)です。
産業遺産コース
尾去沢鉱山の選鉱場跡、製錬所、鉱山事務所跡などをガイド付きのマイクロバスで巡るコースです。所要時間は約60分。
体験コース
- 砂金採り
- 天然石掘り
鹿角市鉱山歴史館
尾去沢鉱山で採掘された黄銅鉱などの鉱石類や坑道の模型が展示されています(入館無料)。
施設
遊具施設
- 立体映像館
- 万華鏡と鏡の世界館
- ゴーカート
いずれの施設も別途料金がかかり、冬季休業です。
その他施設
- ワインセラー
- 水晶山スキー場
- ゴルフ練習場
ショップ
- レストハウス
- 金山庵
尾去沢鉱山
尾去沢鉱山は、鉱物が溶け込んだ熱水が岩盤の割れ目に染み込み、地表近くで冷え固まった鉱脈型鉱床の典型例です。新生代新第三紀中新世のグリーンタフや珪質頁岩に、安山岩、流紋岩、デイサイトといった火山岩が貫入しています。
鉱脈は約500条あり、平均走行延長300m、傾斜延長300m、脈幅0.7m、銅の品位は2.4%でした。採掘は坑道を用いる坑内掘りで進められ、南北3km、東西2kmの山中に、明治以降だけで700km、江戸以前を含めれば800kmの坑道が、シュリンケージ採鉱法によって縦横に掘られました。ここでは銅のほか、金、銀、鉛、亜鉛も産出されました。
1889年に岩崎家に経営が移り、三菱財閥が開発を行うようになってから閉山までの産出量は、銅30万トン、金4.4トン、銀155トンと推定されています。1978年に閉山しましたが、跡地には選鉱場、シックナー(濁水から固体を凝集沈殿させる非濾過型の分離装置)、大煙突などが残されています。これらの近代鉱山施設の遺構は、土木学会選奨土木遺産や近代化産業遺産に認定されています。また、一部は、坑内や鉱山施設の見学や砂金取り体験ができるテーマパーク「史跡 尾去沢鉱山」となっています。2007年には「日本の地質百選」にも選定されました。
略史
708年に銅山が発見され、産金が東大寺の大仏や中尊寺で用いられたという伝説が残っています。1598年に南部藩の北十左衛門が白根金山を発見し、民謡『南部牛追唄』で「田舎なれども南部の国は西も東も金の山」と歌われた金山の一つとして開発が進められました。1695年には銅鉱が発見され、別子銅山、阿仁銅山と並び、日本の主力銅山の一つとなりました。
1889年に岩崎家、1893年には三菱合資会社が経営を引き継ぎ、近代化が進められました。1894年には坑内に電話が敷設され、1896年には水力発電所の建設により住宅を含む全山に電気が通じました。尾去沢鉱山は、日本の近代化や戦後復興の礎となりましたが、不採算と銅鉱石の枯渇により、1966年に精錬が中止され、1978年に閉山しました。